先日、星野源さんと新垣結衣さんが結婚することを発表されました。
おめでとうございます! (^^)
ふたりとも、テレビ画面を通して見るたたずまいや雰囲気がやわらかく、私はとても素敵だなぁと思っていました。
そんなおふたりが結婚されると聞いたとき、自然と”おめでとう”の言葉が浮かんできました。
素敵なご夫婦の誕生。
心から祝福したいと思います。
「うちで踊ろう」はどんな曲?
ご存知の通り、星野源さんはシンガーソングライターでもあります。
数多くのすばらしい曲を発表されています。
「恋」「Family Song」「アイデア」...etc…
タイトルにピンっとこなくても、曲を聴けば耳にしたことがあると思う曲はきっとあるのではないでしょうか?
源さん(親しみを込めて、こう呼ばしていただきます)は昨年4月、家にいても楽しめる楽曲として「うちで踊ろう」を発表しました。
去年の今頃は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い緊急事態宣言発令という深刻な状況にまで発展し、これまで経験したことのない、絶対にありえないと思える状況が起こっていました。
外出を制限される、人と会うことを制限されるなどということは、全く想定していない、誰もが考えたことのない状況でした。
そんな、先が見えない、目に見えないものへの不安、恐怖心から、多くの人の心を蝕ばまれていきました。
本来憩いの場である、最も愛情に包まれた場であるはずの家族間においても、ギスギスしてしまうようなこともあったように思います。
そうした状況下、源さんは「家でじっとしていたらこんな曲ができました」と、弾き語り動画をInstagramで公開しました。
この曲のタイトル「うちで踊ろう」の「うち」は、「家」を指すものでないですよ、と、源さん自身がインタビューで語っています。
家で踊れない医療従事者の方が、心の中ででも踊れるように「家(うち)で踊ろう」ではなく「(心の)内(うち)で踊ろう」という想いがあるそうです。
このような想いは、多く人に寄り添うメッセージとなったと感じています。
私もこの曲を聴くとウクウキして楽しくなって、元気が出てきます。
このように、相手を思いやり、寄り添い、相手を肯定するメッセージを、TAではストロークと言います。
歌詞自体、言葉からも伝わるものもありますが、源さんのメッセージは非言語でも伝わるものが大きかったと感じています。
それは、源さんがこれまで作ってきて歌や、メディアを通して見る人柄からくるものだと思います。
2020年大晦日の紅白歌合戦では「うちで踊ろう(大晦日)」として2番の歌詞も追加し歌いました。
源さんは、
「今年大変な年でしたし、まだまだ終わりが見えない大変な状況だとは思うんですけど、今この時間を生きている皆さんに向けて、生活している皆さんに向けて、一緒に心の内側で踊りたい、そういう気持ちを込めて新しい歌詞を書きました」
と、2番の歌詞に込めた想いを明かしています。
彼がこの歌に込めた想いも含め、この歌には心を癒してくれる、心を温めてくれる彼からのエールを感じます。
「うちで踊ろう」のひろがり
このようにして、源さんの発した「うちで踊ろう」(ストローク)は多くの人を元気づけました。
そして「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」との源さんの呼びかけに応じるように、たくさんの人が歌って、演奏して、ダンスして、自分にできることをして、動画でコラボレーションする、ということが波紋のように広がりました。このコラボレーションは様々な芸能人はじめ、たくさんの人がチャレンジしてSNSにアップしたため、ひとつの社会現象と呼べるくらいになりました。
1番の歌詞に、「たまに重なり合うよな 僕ら」「重なり合うよ」「重なり合えそうだ」と誰かと一緒に何かをすることを「重ねる」という表現で書かれています。
わたしは、この「重ねる」という表現が好きです。
誰かと一緒に何かをすることを「重ねる」と表現したことで、より具体的に私の心に届きました。
源さんは、曲に対する想いを「”今、ここ“で、みんなと一緒に自分が思う面白いことをやれると思った」とも言っています。
過去でも未来でもない、“今ここ“について考えることは、TAの考え方でもあります。
今、何ができるのかを問うことは、自分自身を見つめ直し、現実的に今できることを考えることになります。
そして、考えて出した結論にしたがって行動していくことが、私たちにできることです。
源さんは、自分の音楽を使って行動してよいという「許可」を私たちに与えてくれ、「保護」された中で多くの人が行動を起こしました。
外出制限がかかる中、家にいても楽しもう、というポジティブな発想がいいですよね。
マイナス思考は負の連鎖を起こし、より一層人の精神を悪い方へ悪い方へ流してしまいがちです。
そんな状況でも、このような発想から実際に行動に移せる発想は、本当に素晴らしいと思います。
この広がりの背景には、源さん自身の持つ人間的な魅力もあったのではないかと思います。
TAにはエゴグラムという考え方があります。
エゴグラムの詳細な説明は割愛しますが、源さんを見て私が感じるのは、FCが豊かで発想力に富み、思いついたことを行動に移す。その際、Aを効かせてしっかり考えている。そんな姿に見えます。そして、ともに行動する人たちに対しては、しっかり見守っているよというNPの愛情を感じます。
源さんの醸し出す親しみやすく、それでいて決して押し付けがましくないイメージはNPが高いところからきているように思います。
どこにでもあるような、ありふれた日常の中にある庶民的な感覚を、独自のセンスで表現できるのはFCの高さからくるものでしょう。
このように、発想力豊かに何かを表現しながら、加えて人に対し愛情を伴って接する源さんの魅力が、多くの人の共感を得ているのだと感じます。
※エゴグラムに興味のある方は昨年11月の私の投稿「エゴグラムってなんだろう?」をご覧ください。
このような、源さんの働きかけに対し、多くの人がワクワクしながら自分も「重なり合いたい」と感じたため、こうした運動が拡がっていったのだろうと思います。
そして、源さんのこの働きかけは、TAの目的に通じるところがあります。
TAの目的は、気づき、自発性、親密さを伴う個人の自律性を高め、自分らしく生きることです。
源さんの発信に対し、自分も何かできるじゃないかと考え(気づき)、自分で進んで考えて、積極的に発信し(自発性)、その結果、多くの人が笑顔になり喜び、幸せを分かち合いました(親密さ)。
こう考えると、TAの目的を実現することは、難しく考えるのではなくより身近にあることが感じられます。
安倍晋三元首相の「コラボ動画」への反応
温かさで包まれたこの歌に関連して、ネガティブな話題もありました。
安倍晋三元首相の「コラボ動画」への様々な反応です。
安倍さんの動画配信にはネガティブな反応が多くありました。
コミュケーション(やりとり)は、受け手がどう思うのかで判断されます。
ある発言に対し、受け手が喜ぶ場合もあるし、不快に思う場合もあります。
人の受け取り方は一様ではありません。
ハラスメントもそうですね。
同じ言葉がけでも、普通の会話となる場合もあれば、ハラスメントになってしまう場合もあります。
絵本のように誰にでも幸せを伝えるように書かれたものであっても、幼少期に良い思い出のない方にとっては、いやな気持ちを呼び起こすものになる可能性もあります。
安倍さんのコラボ動画は、一定数のネガティブな反応の的になりました。
安倍さんの動画を見た際に発生したネガティブな反応を考えてみましょう。
動画の内容はごく普通の家で過ごしている場面が映されているだけなので、動画自体に問題があるようには思えません。
では、なぜそこまで批判的な投稿があったのかを考えてみると、そもそも安倍さんに対する「あの人嫌い!」というようなネガティブな感情が、動画をきっかけに増幅された結果だったように思います。
コミュニケーションは受け手がいて成り立ちます。
受け手が多ければ多いほど、ひとつの言葉で100%伝えるのは難しくなります。
私には、安倍さんの動画は”いいなぁ”も”いやだなぁ”もない、とくにメッセージを感じないものでした。
今思えば、動画を見る際にFCが活性化したワクワクした気持ちはなく、どんなものかな、と冷静にAが働いてみていた気がします。
この時点で、私なりの受け取り方があったことがわかります。
「うちで踊ろう」が伝えている事
話しを「うちで踊ろう」に戻しましょう。
源さんが“うちで踊ろう”で伝えたかったことを、私なりに考えてみました。
世界中がこれまで経験したことのないネガティブな状況に陥り、私たちの生活がどんどん内向きになっていくなかで、内向きならばその内向きを楽しもう! とばかりに、「うち」を楽しむことを提案してくれたのが「うちで踊ろう」だったと思います。
楽しみ方も人それぞれ、音楽を加えたり、ダンスをしたり、全く関係ないことを合わせたり、それをSNSにアップしたり、ただただ曲と一緒に過ごしてみたり、それぞれが自分なりに楽しむことが許されたものでした。
その「うち」で楽しむことが大きな社会現象にまで広がっていったのは、暗くなりがちな社会情勢に一筋の光、スポットライトを照らしてくれたからだと思います。
「今ここ」を楽しむこと。
「今ここ」に生きること。
その大切さを「うちで踊ろう」教えてくれました。
楽しむことに気づき、
そして、実際に楽しんでみる。
その結果、楽しさを分かち合える人たちとの親密な交流が生まれました。
どんな自分でもOK、ありのままの自分を認め、表現して大丈夫!
そんなメッセージも感じられます。
「生きて踊ろう」
「僕らそれぞれの場所で」
「重なり合うよ」
歌詞一つひとつに、自分なりのいろんな想いが重なってきます。
「それぞれの場所」は自分にとっての安心安全な居場所。
そんな場所で、想いを重ね合わせることができる。
とっても素敵なことですよね。