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私のTAjourney No,6

『2010年夏・カナダ・口答試験まで』

第二十四回:青沼ますみ

こんにちは、青沼ますみです。

前回、桜の花の開花宣言云々……で、あっという間に葉桜の季節!

そして新型コロナ感染症は、未だ猛威を振るったまま……

ああ、いつになったら海外の大会に参加できるようになるのかしら~~~涙

さて、今回はCTA試験のこと。筆記試験から口答試験に進む頃、そして試験前後に体験した出来事を中心にして書き進めていくことにします。

2006年初めから2010年夏まで、約5年の訓練期間のあいだは、時間を見つけてはTA関連の各種セミナーを受けたり、仕事の現場のあらゆる場面にTAを取り入れることでTA教育者としての実践を重ねたり、自分のプライベートの問題に役立てたり……と、さまざまに“TAを身につける”ことを熱心に続けました。

私はもともと飽きっぽい性格ですが、TAは次々と新しい概念が学べることもあり、全然飽きることはなかったです。

その間、トレーナーや他の先生からスーパーヴィジョンを受け、思い悩み、エイっと踏み出、し、一歩前進。また時にはぐぐっと後退……を繰り返す日々。

娘たちは多感な時期で、主人は東京の本社勤務……など、プライベートでもいろいろなことが起こっていました。が、私はとても安定した日々を送ることができていたように思います。母ちゃん元気で〇〇〇💖

これが、家族みんなの幸せにもつながっていて、はやりTAは日常の幸せを自律的に作るための〖だしの素〗みたいな存在なのかもしれませんね……(笑)

そんなこんな、いろいろ頑張るなかで、トレーナーからもそろそろ筆記試験用に書き始めないとねえ~とお尻をつつかれ、実践体験をまとめたものを約1年かけて執筆。それが筆記試験の提出物となりました。

これ結構、大作です。

筆記試験の構成は明確にルール化されており、各章ごとに具体的な設問があります。最初はその設問の意図する意味さえ理解できず、設問を前に思い悩むこと数日……英語が苦手な人はこのハンドブックを読むことから苦難の道が始まるのですが、ご多分に漏れず私もそのうちの一人でした (今は、日本語訳もありますのでご安心ください)。

大枠は、Wordで作成し、日本語でA4紙面で50枚~60枚のレポートになるのですが、これを日本語のまま国内の有資格者に査読してもらい、合否判定を受けます。

合格であれば、その後に行われる国際大会に付随して実施される口答試験に臨むことになります。口答試験には世界中から受験者が集まりますので、共通言語は英語です。

訓練中にはさまざまな苦労があったものの、私は物事を計画的に進めていくことに抵抗がありませんでした。もちろんさぼりたい気持ちは満々でしたが……

また、研修講師という仕事柄、現場にはレポートの“ネタ”になる出来事や話材がゴロゴロしていましたから、それを丁寧にまとめて筆記試験は一発で合格しました。

で、次は口答試験という段取りです。

もちろん口答試験にも資料が必要です。こちらは英語です。

更にTA教育者としての現場の音声データも3つ準備することが条件ですので、筆記試験とは少し違う苦労があります。

2006年にトレーナーと契約を交わした時に計画したとおり、目指すは2010年のカナダ・モントリオール大会で口答試験を受ける!

ということは、少なくとも筆記試験は2009年の年末には提出し、翌2010年の冬には合格していなければなりませんでした。スケジュール的にはぎりぎりでした……汗

こう書いていくと、“いや~~、英語音痴の私がよくがんばったな~~”と、当時流行のフレーズ? で「自分を褒めてあげたくなります」 (笑)

現場でTAを使って教育している場面を録音した音声テープを3本準備しなければなりません。ここで皆さんとても苦労するようです。

研修講師として私が得意とするのは対人関係力に関するコンテンツです。特に若手、新入社員研修等に必須のコミュニケーションスキル(接遇力から説得交渉力まで)講座に、TAの概念をさまざまに組み込みました。グループの体験から学んでもらうことが非常に好評を博していた時期でもありました。さらに、「海外の試験にチャレンジするなんて、先生凄い!」という契約企業側の力強い応援のおかげもあって、上手く準備をすることができ、それはとてもラッキーでした。

また、現場でも若い人たちは、大学の研究発表などを経験しています。また、海外で活動することへの憧れもあってか、研修室で実施した内容のうち、自分の発言が使われることに非常に好意的でした。このことも、音声テープの品質につながったと思います。

で、この準備期間と試験日前後に起こった出来事のうち、目からうろこ!! のエピソードを2つご披露します。

【 エピソード1 】

海外で口答試験を受けるのですから、準備する資料は英文です。日本語であれば、公の場で使用するビジネス文書を人に教えることができるレベルの私ですから、難なく整えることはできるのですが、なにせ英語での公式文書です。1人で作成するのは無理だと判断し、お金の力で解決するしかありませんでした。大人ってすごい?!

伝手を頼りに、大阪で通訳や翻訳の仕事で活躍しているプロに依頼することにしました。

7月の大会、試験の日程は確定しています。

英語の文章を準備するというのが、最終段階ということになります。

そこで準備しなければならない数種類の資料のうち、1つが自分のプロフィールです。

まず、等身大の自分について日本語で綴り、それを英語に直してもらう。

単にこれだけの事だと思っていたのですが、それが大間違いでした。

翻訳者から電話がかかり、「先日の打ち合わせでは、あなたはもう少しお仕事をしていたと言っていましたが、他に書くことはないですか?」

そう電話口からやや強めの口調で言われた瞬間、

“ああ、学位もなく、肩書もなく、単なる研修講師という仕事をしているだけのわたし……”

あっという間に、自身のライフポジションである〖I’m not OK, You are OK〗にタイムスリップ、数秒……

で、“うん? 仕事? 仕事の場所? 数? 内容?”となり、

で、この間、さらに数秒の間…

すると、自分の質問が悪かったと思ったのか、翻訳者は

「もともとどこの企業のご出身でしたっけ? 今回のテープはどこの企業の方とのお仕事ですか?」と具体的な質問に変わったのです。

そこでやっと我に返った私は、これこれこうこうしかじかと自分の経歴と過去の業績を、紙に書いていない部分(彼女からしたら、そこがアピールポイントでしょうよ! と突っこむかも)を具体的に伝えました。

このやり取りのあとに分かったこと

・私は自分のこれまでやってきたことを、自身で値引き(discount)していたということ

・そもそも、業績・実績というのは、自分の口からグダグダ並べ立てていうものではなく、他者からの評価でその値打ちが決まるのだという思い込みがあった

・海外では、プロフェッショナリティを示す場合、具体的な仕事の役割や責任の領域を明記した方が理解されやすいこと 

などなど

そして、「仕事した」ではなく、具体的にどんな成果をそこでだしたかを明記する、つまり結果を出せる人だというアピールが大切。

彼女曰く、

「日本において、個人のレベルで、世界でも名の通った企業で何年も業務委託されていることを、自分の実績として書かないのであればいったい何を書くのですか? 海外では当たり前です。日本人は自分のことを過小評価しすぎです!」

と指摘され、依頼した側がなんだか叱られたみたいになったのでした。

感心し、私が「では、それでお願いします」と言った後も彼女は疑い深く、「もうないですか? 出し惜しみしていませんか?」と詰問される始末でした(笑)

この翻訳者さんとのご縁はその回限りのものでしたが、今でもその方に心から感謝しています。

50歳で、語学力というハードルにもがきながら、海外の地で試験を受けるという大きなチャレンジを自分に課して孤軍奮闘している私に、厳しい口調で叱咤激励しつつも、非常に熱の入った仕事ぶりで海外品質の書類を整えてくださったことが、合格に一歩近づく大きな後押しになったことは間違いないのですから。

この一件で、国の違い、文化の違い、言葉の違いで起こる摩擦、そしてそれらの差異から、人が「何を重視し、何を軽視・無視するのか」について、興味を持ち意識を高めるきっかけができました。

そのおかげで、口答試験当日、国の異なる4人の試験官と“どう対応するか/どのようなやりとりであれば対等で自律的か?……”という、TA人基礎力ともいうべき心構えとスキルに意識が高まっていきました。

全ての道はローマへ…  てな感じですかしら、おほほ

そしていよいよ、カナダ・モントリオール大会へ出発♪ 

その頃の私は「合格するために行く」が自分の中の合言葉になっていました。

合格するために5年以上かけて自分をTA漬けにしてきました。

といっても、英語力の低さもあり、またTAの著作物はほとんどが英語ですから、英語の関連書籍や論文を直接読めない事で、最新理論や概念の情報収集に大きなタイムラグがあるなど、さまざまに限界はありました。なので、自分で100点を出せる状況ではありませんでした。が、合格するためには何をどう準備したらよいのかと、そればかり考えていました。

で、次のエピソードも、ローマにつながる道となるエピソードです。

【 エピソード2 】

前日は、受験者と試験官はそれぞれ分かれて別室でミーティングがあり、そこで試験に関する注意事項などを聞かされます。ほとんどの人がその時点で、心臓が口から飛び出すぐらいドキドキし始める時間帯です。

そして自分の国から準備してきた試験書類を、メインの会場に自分の手で持ち込みます。

私も念入りに4セット準備し、全ての予備も整えました。

渡航中に無くなっては困るので、機内持ち込み用カバンに“肌身離さず”の状態で持ち込み、無事にホテルに到着し、試験会場に提出してはじめてホッと一息つく感じです。

そのあと、試験を受ける仲間と一緒にホテルのレストランで夕食を取りました。

マナーモードで携帯の着信音がなり、出てみるとトレーナーから。

低い声でひとこと「提出書類が一枚足りません。そこにもってる?」

えええ~~~~~~~!!

あれだけ何度も念入りに数え準備したのに?

で、やっぱりライフポジション〖I’m not OK, You are OK〗へ飛んで行ってしまう私。

仲間に説明し、慌てて部屋に戻り、書類をチェック。

大きく深呼吸、

“落ち着けわたし、原本はすべてここにある。

じゃあ、これをコピーして、どこで?? あ、フロントで”

一人で問答。

この辺りからは本来の性格特性のリカバリー力と冷静さを取り戻し、

問題への対処に“全集中”し始めていました。

私は若い頃から、問題が発生したときにリカバーするのは得意です。これは企業の総務人事部門で、周囲の先輩諸氏がしていた「事が起こった時の迅速で冷静な対処の仕方」を、自らプログラムしたからだと分析しています(時に、たばこポイっと捨てちゃった事件から強盗未遂事件まで……)。

片言の英語で必死にフロントスタッフにコピーをお願いし、取って返してそれを試験会場に持ち込み、提出した資料に挟みなおす。この間約30分。

で、セ~~~~フ!

こんな感じで、大事な日の前にトラブルがあると、その後はとても肝が据わってくるというか腹がくくれるというのか、とにかく落ち着いてくるのが私の特徴です。

ホテルの部屋に帰ってからは「あ、これで一歩また前進した」という感じがしていました。

大事の前の小事。

先に小さな試練を与えるのは、試験の女神さまのいたずらかもしれませんがね……

そして

当日、ホテルの部屋から空を見上げながら私が聞いた曲は〖栄光の架橋〗 

あの、ゆずの名曲でした。

空は晴れて、雲は美しい白でした

続く

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