ここのところいろいろなセミナーに参加する機会があり、
拡がる、深まる視点をいただいています。
そのようなセミナーに参加して、いろいろ感じるところがあります。
ビジネス系、心理系、遊び系など、それぞれが全然違う分野で参加してるにもかかわらず、
あぁーそうだよね。そうそう、そういう事! と、腑に落ちることがあります。
私の言いたいことを言葉にしてくれて、
頭の中で表現が整理されまとまり、しっくりくる言葉が増えていきます。
その根っことなるのは、私の場合にはTAであり、絵本です。
特に、TAの哲学は一番しっくりはまってきます。
・人は誰でもOKである
・誰もが考える能力を持つ
・自分が自分の運命を決め、その決定を変更することができる
この3つがTAの哲学です。
最近の学びの根本的なところを突き詰めてみると、TAの哲学に通じているのではないでしょうか。
言い方は違うけれども、結果みんな同じことを言っている。そういうふうに感じます。
生きること、幸せになることを望んで前に進もうとすると、自律することに繋がります。
自律して生きることは、TAの目指すことでもあります。
自律
自律すること、これはとても大事なことです。
「じりつ」には2つの漢字があります。
「自立」と「自律」。
私は「自立」の前に「自律」があると考えます。
「自立」とは、能力や経済力、身体など、他者に頼らずに行動できることで、
「自律」は、価値観や信条、理念や哲学など個人の内面において、他者に頼ることなく独り立ちしていることです。
「自律」はあり方であり、「自立」は行動の仕方です。
自分のあり方を認めて、自分らしく意思をしっかり持つことが自律です。
そして、自律しているからこそ、自立できるのだと思います。
「自律」していれば、「自立」していなくても幸せに生きていけます。
身体的は不自由さを抱えている人は、物理的に自立することは難しい状況です。
でも、自律していれば、誰かの助けを借りながら、助けてもらうことを卑下することなく、感謝の気持ちを忘れずに生きていける。
OriHime パイロットを見ていると、それがよくわかります。
生きること。自律することの示唆を与えてくれます。
聴く
もうひとつ、普段の生活していく上で、私のあり方を言語化してくれるものがありました。
あるセミナーで「きく」ことについての話がありました。
「きく」、漢字では「聞く」と「聴く」があります。
その意味するところの違いについては、
これまでもいろいろなレクチャーを受けてきましたが、
そのセミナーでは新たな視点を与えてくれました。
門構えの「聞く」と耳偏の「聴く」には違いはどういうところなのか。
門構えの「聞く」は、相手が言っていることを聞いているけれど、自分の中では、相手の言っていることはもうわかっているから、聞かなくてもいいという意識、態度で聞いている。耳偏の「聴く」は、相手の言うことを受け入れながら、相手と同じ方向を見て話をしていく。
つまり、「聞く」には判断が含まれ、「聴く」は判断をしないのだと。
これを聞いたときに私の中で思いついたのはライブポジションです。
「聞く」は、I+U-(I am OK, You are NOT OK)であり、
「聴く」は、I+U+(I ma OK, You are OK)であると、そのように感じました。
「聞く」のはうは、相手の話したいことはわかっていると判断し、もうそこで自分の中では話を聞くことをやめて、全部話さなくても私はわかっているよ、というような態度を少なからず出しているのではないかというふうに思います。
それに対して「聴く」は、相手に常に相手のことを尊重しながら、最後まで相手の話すことに耳を傾ける態度でいる、というように感じます。
このように「きき方」の話ではあるけれど、その根っこにある部分、心理的な態度、あり方ではTAで説明している理論は、とても腑に落ちるものだと感じました。
表現方法
あり方を考えるとき、自分の周りの人を観察すると色々見えてくるもの、感じるものがあります。
私はNHKの朝ドラをよく見ますが、その中で、なかなか興味深いものがありました。
詩人のたかし君が短歌集を出版することになり、その出版をめぐって編集のリューさんとするやりとりについてです。
リューさんはたかし君に、自分のありのままの、ドロドロした気持ちをそのまま表したものを書いてほしい、とリクエストします。
かなりの上から目線です。
視聴者からすると、「何だこいつ! 嫌な奴だな!」と感じました。
売れる本を作るために、自分のエゴを、俺の言うことを聞いていれば売れる本が出せるなだ! というように押し付けている感じです。
たかし君は、自分のありのままを出すことに強い抵抗を感じます。
それでも、リューさんの言うままに、ようやく10首書きますが、リューさん、これではダメだ、今までと何にも変わっていない、という評価でした。
その言い方は、CPを強く感じさせる、威圧的な態度、言動です。
ただ、その後訪れたとき、悩んで悩んでどうしてよいのかわからないたかし君に対して、これまでとは違う表情、言葉で語り掛けます。
そこには、しっかりたかし君への思いがありました。
その変化は、リューさんのアダルト(A)が働いたのだと思います。
今のたかし君にたいして、これまでと同じ話し方で言っても結果は生まれない。
その判断をしたからこそ、
NPを働かせて相手を包み込むようなやさしさを持った言動に変わったように思います。
たかし君がこれから大きな飛躍を遂げるためには、今の自分の殻を破らなければならない、破る必要があるんだ、と語りかけます。
リューさんのたかし君を大切に思う気持ちがとても伝わってきました。
それに対して、たかし君を尊敬し、大好きなファンだという女の子が登場します。
彼女はたかし君の全てを肯定しています。
作品のすばらしさを強調し、その一番乗りは私なのだと言います。
なのでリューさんの言うことには強く反論します。
ただ、そこには、自分が一番の理解者である、という強い思いが先行し、
まるで保護者のようになって、たかし君に対してI+U-の姿を感じました。
彼女に対してリューさんは言いました。
あなたはソプラノがとっても美しい少年に対して、「そのソプラノをずっと聴きたいからこのまま成長せずにいなさい」と残酷に言っていることと同じだよ、という言葉でした。
相手のことを思っているようで、実は、自分のエゴを通しているそのようなことを指摘しています。一見たかし君のことを思っているようで、実は自分にとって大切な人、自分が大切に思ってるものが壊されたくない、そのエゴが強く出ているのではないかと感じさせてくれました。
あり方
自我状態やライフポジションを知っていると、自分の気持ちの整理ができます。
まずは、アダルトを働かせること。
無意識の自動的反射的な行動ではなく、
意識して考え、判断し行動することに立ち戻れます。
気持ちや感情はいろいろな方向に、様々なインパクトで発生します。
気持ちが揺れ動くのは致し方ありませんが、
どれだけ早く「現実」に戻って、冷静に対応ができるのか。
それが重要であり、そこに意識を向けられることが、あり方として大切に思います。
TAの理論を知っていると、俯瞰的な視点で、自分の頭を整理することができます。
また、周りの人に対してもポジティブな視点を常に持てることは、必ずプラスになります。
TAの視点が自然に使えるようになってきた今、私が言葉にして話したことが、少なからず何かを感じ取っているものになっていることを、私も感じています。
TAを意識した生活は、自分以外の体験を、自分事にし、私の心を豊かにしてくれます。
TAを学ぶことは、本当に楽しく思います。