コロナが流行して2年が過ぎ、ようやく何も見えない暗闇から、
少しずつ明るい兆しが見え始めてきました。
まだまだ第6波の波がおさまりきらない状況ですが、
まん延防止等重点措置等期間はすべて解除されました。
コロナ感染が広がり始めた2020年4月の頃は、
ステイホームが新しい生活習慣となり、
私たちは同居している家族以外と接触する機会が限りなく制限されました。
日本では国民へのお願いというかたちの制限でしたが、海外では「ロックダウン」も行われました。
スウェーデンの疫学者アンデシュ・テグネル氏は
「ロックダウンは一時的には流行を抑制するが、
回避できない代償もある。」
と言っていました。
それは、家庭内暴力や孤独、大量の失業などです。
ロックダウンは、身体的な健康を維持するために有効な対策ではありましたが、
精神的な健康を害するという弊害もみえました。
家庭内暴力や孤独の増加がその影響として表れました。
日本でも、テレビのワイドショーなどの話題に、
一緒に生活する時間が延びることによるストレスから、
家庭内暴力やDV、そして”コロナ離婚”という言葉さえ生まれました。
では、なぜ家族やパートナーと一緒に生活する時間が長くなると、
幸せな時間を過ごすのではなく、
イライラしたり、怒ったりするような
マイナスの時間が発生することになってしまうのでしょう?
“もう、いちいちイライラする!”
“少しは、家のことを手伝って!”
“いつまでもゴロゴロしてないで、少しは手伝って!”
“仕事をしているのに、いちいち家の話をしないでくれ!”
…etc…
本当は喧嘩なんてしたくないのに、
気がつくと喧嘩をしている。
喧嘩の後は、決まっていやな気持ちになっている。
そうするとまたイライラが募ってくる悪循環。
これらの問題
をTA心理学の視点で考えてみましょう。
【 コロナ過はどんな状態? 】
コロナ禍でギスギスした人間関係が生まれてしまいがちですが、
ウィズコロナとなった日常だったとしても、
なんとかハッピーな気持ちで過ごせるほうがいいですよね。
TA心理学の創始者エリック・バーンは、
「社会的接触」が少なくなると、
精神的なバランスをくずし、
健康を維持できなり、
最悪、命を落とす危険性がある
と言っています。
ひとりぼっちで長時間過ごしたり、
誰にも相手にされない(無視される)ことは
最悪のケースを招く可能性が増します。
今回私たちが長期間過ごしたコロナ禍では、
社会との関わりや人同士の接触が制限されました。
その結果、私達は精神的なバランスを崩し、イライラしたり不安になったりします。
私達は、本能的に、
人同士の「関わり」や「接触」を手に入れようとします。
なぜならば、社会との「関わり」や「接触」(刺激)がないと、
健康状態を害し、最悪死んでしまうケースもありうるからです。
3つの飢え
バーンは、
「社会的接触」を3つの「飢え」という視点で説明しています。
・刺激の飢え・・・もっとも強力な刺激は身体的接触
・承認の飢え・・・自分の存在を確認したい。認めてもらいたい!
・構造の飢え・・・今日はどうやって過ごそう。なんとなく時間がすぎるのは嫌!
私達は家庭内で口喧嘩や言い争いなど、
嫌な気分になってしまうやりとりを、日常たびたび経験します。
これも、私たちが「社会的接触」を満たすために考え出した
飢えを満たすための、生きるために必要とされる
手段の一つなのです。
カップル間や親子の間で、
いやな気持ちになるやりとりをしていると気づいたら、
先ほどの「飢え」を癒そうとしているかもしれません。
今、何を癒そうとしているでしょう?
ひとりぼっちになること、孤独は嫌だ!
顔を見たい、声を聴きたい、触れ合いたい、
そんな身体的な刺激が欲しい!
マンネリはいやだ! 退屈だな
これは「刺激の飢え」状態と考えられます
ありがとう。
とても助かったよ。
パートナーや親に感謝されたい!
よくできたね。
素晴らしいね。
パートナーや親にほめてもらいたい!
これは「承認の飢え」状態と考えられます。
コロナはいつまで続くのだろう。
未来が見えないのは不安だ!
どうやって時間を過ごそう。きめられた予定やプランが欲しい!
これは「構造の飢え」状態と考えられます。
コロナ禍は飢餓状態
このように、自分や大切な家族、パートナーの状態を
ちょっと、観察してみてください。
コロナ禍の状況で人は、まさに飢餓状態にあったといえます。
私たちは飢餓状態にあることを
パートナーに気づいてもらうために
ちょっと目立つ行動をしようとします。
この行動には、良いこともあれば、
相手にとって受け入れられない行動もあります。
できるならば、みんなが笑顔になれる行動をしたいものです。
たとえば、料理を一緒に作ってみたり、
朝、一緒に散歩したり、
お互いが笑顔になれることを考えてみてください。
みんなで楽しむ!ことが大切です。
TAでは、お互いのやりとりを「ストローク」を交換する、と言います。
相手を元気づける言葉がけをプラスのストローク交換といいます。
逆に、挨拶をしても無視したり、ちょっと嫌味を込めて話したりすることを
マイナスのストローク交換と言います。
【 しゃべることから始めよう 】
まず、必要なのは、
誰かと「しゃべること」
だれかとしゃべることは
自分自身へのストロークとなります。
しゃべる内容は何でも構いません。
嬉しかったこと、楽しかったこと、
悲しかったこと、腹が立ったこと、
パートナーに対する愚痴でも構いません。
誰かとしゃべることで、すっきりした感じが得られます。
しゃべることは、生きることに必要な
「刺激の飢え」の解消につながります。
【 しゃべることのコツ 】
哲学者で元大阪大学総長の 鷲田清一 がその著書で語っているものがとても参考になります。
『だんまり、つぶやき、語らい』 鷲田清一 著 講談社
本の中で、ことばには「だんまり」「つぶやき」「語らい」の3つの段階があるとおっしゃっています。
なるほど、と共感しました。
コミュニケーションは難しいものです。
でも、この3つの段階を知っていると、コミュニケーションがとても楽になります。
私の感覚ですが、それまでコミュニケーション手法で武装していた装備を脱ぎ捨てて、自分の中にある感覚を大切にするための「おまじない」を手に入れた感じです。
それぞれの「おまじない」は次のような意味があります。
♦ だんまり
まず最初に「だんまり」があります。
その場に居るけれど、何もしゃべらない。
でもそこに「居る」のです。
では、なぜしゃべらないのか?
それはいろんな理由があると思います。
自ら選んで、自らの意志でしゃべらない人もいるでしょう。
でも、中には自分のモヤモヤした気持ち、あやふやな気持ちを言葉に表すことができないので、黙っているケースもあります。
そんな時、だまって人の話しを聞いていると、誰かの言葉が自分のあやふやな気持ちを「言葉」に表してくれることがあります。
そして黙っていてもいいんだよ、と許可してくる環境が必要です。
つねに意見を求められるのは、なかなか居心地はよくありません。
「だんまり」が許される居場所。
これが大切です。
私が講座をする際のグランドルールの中のひとつに
「パスの権利」があります。
これは、しゃべりたくないときは無理にしゃべる必要がないですよ、
というルールです。
参加者の皆さんの表情を見ていると、このルールを聞いたとき、うなずいている方を多くみてきました。
無理にしゃべらなくてもよいというのは、心理的な安心感をもてるようです。
♦ つぶやき
だんまりの段階でも、やっぱり言葉にして自分の考えをつかみ、理解したいと思っています。
そんな時、あいまいながら、思いつくままに言葉にすることが
「つぶやき」
です。
誰かに何かを伝える状態ではないけれど、単語だけの断片的な、不完全なまましゃべる、ボソッとつぶやくことで、相手の反応を見ること。
それは、自分の言葉を人前に差し出す最初の体験です。
「つぶやき」は自分の考えがまとまっているわけではない、思考して作っていない素の自分の言葉ですから、相手に伝わっているのか、その反応がとても気になります。
ちゃんと届いているのか、かわされているのか、それとも全く分からないのか、すごく不安な状態ですね。
なので、「つぶやき」の段階では自分が発した言葉とその反応、その自分の感じた感触がとても大切になります。
♦ 語らい
ボソッと断片的に発せられた「つぶやき」に触るところから、そこから「語らい」が始まります。
「つぶやき」に何度も何度も触って、その人を知って、ようやくその人との語らい、しゃべることができるようになります。
知らない者同士が出会って、話しをするとき、相手に触る時間は限られるので、相手の言葉から傷つくこともあります。
傷つくのは、自分の価値観と違うから、容認されない、否定されることがあるからです。
人は育つ家庭も環境も、年代も異なります。
同じ事実を見ていても、何を感じるかの価値、判断基準は人それぞれ。
違っていることは、当たり前なのです。
その自分と考えが違う人がいることを理解して、その違い、驚きを容認していくことが「語らい」なのです。
自分と同じ価値観の人と話していても、新しいこと、知らないことに触れるのはなかなか難しいものです。
互いの違いを発見し、認め、埋めていくことで人は成長していきます。
そのためにも「語らい」はとても大切なことなのです。
【 しゃべることの大切さ 】
誰かとしゃべるとき、いきなり語り合う必要はありません。
話したい事、気持ちの整理ができず言葉にできない事、そんなことを「つぶやく」ことから始めればよいのです。
「つぶやく」までに、「だんまり」でいられる場所が必要かもしれません。
私は、2020年4月から、コロナ禍におけるしゃべる場所を提供するという目的で、
オンラインの「しゃべり場」を開催しています。
現在もそれは続き、もうすぐ2年が経過します。
その間、180回以上開催し、延べ700人以上の方にご参加いただきました。
しゃべり場の中には「語らい」もあれば「つぶやき」も「だんまり」もあります。
みなさん、それぞれにその状態を楽しんでいます。
ご参加いただいた方の感想をお聴きすると、
ますます「しゃべること」の大切さを感じます。
しゃべることで笑顔が生まれます。
しゃべることで自分が癒されます。
しゃべることで元気になります。
まだまだ、先が見えない状況が続きます。
しゃべることで少しでも不安を解消し、
有意義な時間を過ごしましょう。