今週当番の青沼です。
前回、10月に参加したTEWというトレーニングワークショップの感想を書きますといっていたのですが、この11月4日にご逝去された繁田千恵先生との思い出を私もここに綴らせてもらい、先生のご冥福を祈りつつ、私の中の1つの区切りにしたいと思います。
どうぞお付き合いください。
私は、繁田先生をいつ知って、どう慕っていたのか? そして私にとってどのような存在だったのか……
💖エピソード1; 「へえ、あの人、繁田先生っていうんだ……」から始まった!
2007年、国際大会は米国サンフランシスコのサンフランシスコ空港近くのホテルで開催されました。
2006年のトルコ大会に続き、私にとっては2回連続で参加するという大きなチャレンジでしたが、右も左も良く分からないまま準備し、仲間数人と行動を共にして、なんとか会場のホテルへたどり着く作戦でした(今から思うとこわ~~い笑)。
大会前日の朝、サンフランシスコ空港に無事到着。当時はまだネットの情報も充実しておらず、ガイド本を手に空港内をうろうろ、ホテルのリムジンバスが発着するバス停までなんとかたどり着いた私達。
いつ来るんだろう……どのバスに乗ればいいんだろう……と数人でオタオタしていた時、
(ここでBGM♬)
颯爽と白いジャケットスーツを身にまとい、手慣れた様子で大きなスーツケースを扱いながら現れた一人の高齢の女性。
「あ、繁田先生、お疲れ様です。今回はご参加なんですね!」
私達と同じ便だった教育分野のM先生がそう声をかけた女性、それが繁田千恵先生でした。
「あら、おはようございます。皆さんもご一緒なの? 無事についてよかったわねー」
スマートな物腰と言葉遣い。旅慣れた様子で、バス停にあった電話を使い、(多分)ホテルと話し、リムジンバスの周回を確認する一連の流れ。
“うわ~~なんて、カッコいい方なんだろう~~~”
“シゲタ?しげた先生っていうんだ”
全く業界のことを知らないモグリのようなセリフですねよ(笑)
その年のサンフランシスコは朝夕がとても寒く、繁田先生は途中でサンフランシスコの街までお買い物に出向き、「仕方ないからユニクロでダウンジャケット買ったわよ~~~」と破顔、それがまた、普通なら旅行先では汚れるから絶対選ばないオフホワイトを選んでいて、これが良く似合っていたのには驚きでした…
その大会で先生は、TSTA(教授クラス会員)試験にチャレンジ。3つの試験項目のうち2つに合格なさり、お祝いの壇上にいる姿を、会場の片隅から憧れと共にぼんやりと眺めていました。
「あんな風にお祝いしてもらえるんだな…」 なんでもが世界のTA初体験の私でした。
(先生は、次の年に3つ目も合格され、晴れて心理療法分野のTSTAにバージョンアップしました)
💖エピソード2:「女傑、繁田千恵 ここにあり」
2012年の夏。
CTA試験に2010年に合格してから一時、私はTA漬けの毎日からちょっと距離を置こうとしていました。試験に合格する目的で数年過ごしたこともあり、燃え尽きた感覚を落ち着かせようと、あえてTAを脇に置き、組織開発などの分野に手を出していました。
そんな私に、元トレーナーだった、現ともこ理事から1本の電話が。
「2013年の夏に、大阪でITAAの国際大会をやるの。私もやるから手伝ってね~~!」
で、寝た子は起こされた!!爆笑
この時期、TAコミュニティの主たる団体や関係の方々に、繁田先生からお声がかかっていたようです。
日本側の大会委員長は杉田峰康先生、実際のボス・実行委員長は繁田千恵、実働部隊・事務局にはとも子理事を含む〖繁田さんと一緒に仕事をしよう。ITAAを盛り上げよう〗と決意した、多くの日本の仲間が無償のボランティアとして、最終的に総勢100人以上集結することになりました。
その中に私もおり、全ての公式行事を仕切る部局の長になったという経緯です。
で、私の繁田千恵像は、『目的成就のために猛進する女傑』
江戸っ子とご自身で自負されていただけに、何事に対しても本当に潔かった先生。
それを痛感したエピソードを一つ。
この大プロジェクトの準備と現場、それはそれはNHK「プロジェクトX」並みに大変でした。
計画は壮大、当然いくつか大中小の予期せぬクレーム、仲間内のトラブルも起こりました。
私が絡んだのはこんな事件;
大会のプログラム冊子の制作にはお金がかかります。そこで、広告欄を作り関連団体に売ってその資金にするのはどこでもやること。
私は、10年人材育成の仕事をしているある業界団体の長にこの国際大会の意義を説明し理解を求め、一番良いページに広告を出してもらう契約を取り付けて大喜びでした。別に寄付もいただきました。
で、出来上がったのを見て驚愕。最初の広告欄には医師系の団体が載っているではありませんか?
広告窓口の担当者に確認すると、繁田委員長の指示だというのです。そんな馬鹿な!金額の差と早い者勝ち。約束が違うじゃないかぁ~!!
私は、ふり上げた拳をそのままに、広告担当者に抗議のメールを送りましたし、上層部にもそれをCCでぶつけました。
その次の日、繁田実行委員長からメールの返信が。
「もともと、私はそういう人間だということです。
あなたには本当に申し訳ないのですが、ココは私を立ててください。」
こんな書き具合だったと記憶しています。
なんて直球なんだ!((+_+))…と私はあっけにとられ、結局その条件をのみ、依頼先の団体にも業界の複雑な事情を説明して許していただいたわけです。
ね、潔いでしょ?(笑) 腹のくくり具合が違いましたね、先生は。ほんと、すごかった。
リーダーってこういう人の事を言うんだなと、素直に納得して、一見落着。
この手のエピソードは結構あるのですが、まあ、これが一番印象的だったかなと思います。
💖エピソード3:「信任する力」と仕事への感謝
大阪大会は大盛況で無事に閉幕し、その後私は繁田先生に「大阪のTA仲間」として認められたと自負しています。
数年たったある日、東京のワークショップでご一緒しその帰り、渋谷駅行きのバスの中で、
「一つ仕事を譲りたいのだけれど、どうかしら?」と振られたのが、一般社団法人日本産業カウンセラー協会の講座講師でした。
帰り際、急に声をかけたのにはそれなりの訳があったとは思いますが、ご自身の後釜・人材を選ぶとなった時に、分野の異なる関西の私を指名してくださったことにびっくりし、そしてめちゃくちゃうれしくて興奮したのを覚えています。
どの仕事もそうですが、私に期待して紹介くださる仕事こそ大事に扱い成果を上げて、そしてその仕事を頂き続けていく。そうなって初めて、その方への御恩が返せるのだと思います。
そこから数年、今も私はこの仕事を担当しています。
この講座で、産業界で活躍している多くの参加者、つまり産業カウンセラーの皆さんと学び合う豊かな時間が持てているのは、とにもかくにもあの時の繁田先生の「この人にやらせてみるか!」という信任する力のお陰だと感謝しています。
―そのほかにもたくさんの思い出があります。
・白井幸子先生らと立ち上げた再決断療法研究会で、米国Vann Joines研究所で開かれたワークショップに参加した時のこと。
朝食ダイニングしかないモーテルでの1週間程度の宿泊は毎日が外食になります。先生は当時ちょっと体調を崩されていて、ホテルの部屋で数名の心許す後進と夕食を取ることに。各自が非常食的に持参していた食材をかき集めての食事会。
白米のパックご飯をレンジでチンし、永谷園のお味噌汁・ふりかけや、先生持参の高級昆布の佃煮・梅干しを分けてもらい、皆でワイワイ、修学旅行みたいだね♪と言いながら食べたあの時…私達はみな“女子”だった(笑) 本当に楽しかったな~~。
・筆記試験の査読者になったとき、受験者へ“小さな親切大きなお世話”的なコメントをしたら、当時試験コーディネーターだった先生からピシャリと叱られたことも。こわ~~い先生も知っています。
・CTA試験の時も、今回のTEW参加準備の時も、いつも私の大事な時に、なんども励まし助けてくださいました。
・属する分野/業界の違いがあるなかで、私自身と私の仕事ぶりに注目しては、沢山褒めて励ましてくださいました。「もっと自信を持ちなさいね」「あなたなら任せられるわ」
私の欲しいストロークをよくご存じでした。
こんな風に書いていくともっともっとあるのですが、全ては書ききれません。
いま、日本におけるTAコミュニティも時代を経て、更に一歩変化しようとしています。
尊敬する偉大な先輩の敷いてくれた道を目印にして、私も私なりの速度でしっかり歩んでいきたいと思います。
繁田先生、今まで本当にありがとうございました。
この写真は、Vann先生のワークショップ終了後、先生のご友人が終の棲家としてお住まいの老人ホームに同行させてもらった時の一枚。旧友と愛犬、肩を寄せ語らいながらのお散歩。
広大な敷地すべてがホームなんですよ!
ノースカロライナ州の青い空と雲が今も心にとピン止めされています・・・