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即興劇(インプロ)

担当:降幡浩康

先日、友人に誘われて即興芝居を観劇しました。

即興芝居は、あらかじめ台本や楽譜は用意されることなく、即興で演技や音楽などが演じられるものです。

つまり、その場で創作するパフォーマンスになります。

演者は、ある程度のルールやテーマに沿って、自由に演技や演奏を展開します。

私が初めて出会った即興劇は、ビジネスセミナーの中の一公演でした。

インプロの目的に、創造性や想像力を駆使して、新しいアイデアや表現を生み出すということがあります。また、演者同士がお互いのアイデアやリアクションに対して即座に反応することで、コミュニケーションスキルや協調性を養うことができるとされていることから、ビジネスシーンで取り入れられることがあります。

台本のないストーリー、演者の反応、対応で行く先が変わる、何とも楽しいワクワクする展開は、心地よい刺激を私の中に残しました。

 

時を経て、今回インプロの観劇のお誘いをいただき、あの時のワクワクを思い出し、観劇することを即決しました。

チケットをお願いしながら、私の頭の中でふっと浮かんだイメージは、自分がその場に立っていること。私が舞台に立って演じている姿でした。

これは何とも言えない不思議な感覚ですが、かなり鮮明なイメージとして、その場にいる自分、それもにこやかに演じている自分の姿が見えました。

今回の即興芝居は、主催の長澤英知さんと当日劇場に来たお客さんの2人だけで行う60分間ノンストップのものでした。

 

当日、入口で受付を済ませたときにアンケートがあって、そのアンケートに「出演してもいいですか?」という質問がありました。私は迷わず「OK」に〇をして提出しました。

とはいえ、たくさんのお客様がいるので選ばれることは難しいかなぁ、と思っていました。

実際にプログラムが始まって、「今日出ても良い人!」と手を上げてもらい、長澤さんが舞台から客席に降りて、一緒にやってくれる人を探し始めました。

その際に、「ちょっと目につきました!」と言って、私の近くに来て、少しやりとりが始まりました。

「お名前は?」「どちらから来られました?」そして「今から舞台に出ても良いですか?」と聞かれたので、私は迷わず「はい!」と答えました。

その後ほかの方にも声をかけて、ではこれから選びますとなったときに、「決めました。今日はそちらの男性にお願いします!」と言って、私を選んでくださいました。

思い描いた「舞台に立っている」ことが、現実になったのです。

演劇をしたことなど一度もなく、しかも観客がいる前で舞台に立つなんて言うことは想像もしていなかった私です。どうなるのかなと思いながら、実際、舞台に立ってみると、不思議とそれほど緊張せずにすみました。

観客の皆さんを前にしても、落ち着いていられました。

なんででしょうね?

ちょっと高揚感というか、子ども(Child) が活性化していたのでしょう!

これから起こることにワクワク、ウキウキしていました。

長澤さんのリードのもと。

緊張をほぐす最初のセッションを行って、舞台に使う設定をして。

いよいよ劇は始まっていきました。

スタートすると、自分はどうすればよいのかと、長澤さんを見ると、キッチンで料理(演技)をしています。あぁ、そうか、演技が始まっているのかぁ、と合点がいき、とはいえ、台本があるわけではないので、思いつくままに言葉を掛けます。

どうなるのかなと思っていると、長澤さんがストーリーを徐々に作っていきます。

即興ですので思いもよらない展開が次から次と起こります。

そのとき、私は思ったのは「普段のままでいいんだな」ということでした。

台本がない、ということは、何の「縛り」もないので、ある意味で「私の感じたままでいいんだ」と思いました。

逆に考えると、縛られるものがないわけですから、普段の自分通り、自分が自分のままでいることしかできないんだ、ということが分かりました。

それが、どのようにストーリー展開していくのかわかりませんが、日常生活ってそういうものだなぁと思います。

これから起こることなんて誰にも分らないのですから、日常生活と全く変わらないんですよね。

家族で会話をしていても、「そんなことある?」とか「ちょっとそれは違うんじゃない?」 と感情的になることもありますし、一緒に笑うこともあります。

そんな流れが、舞台の上では展開されて行きました。

ただ、普段の生活と違うのは、自分が「誰」なのか、相手が「誰」なのか、それが分からなかったことでした。

ストーリーが進行していくうちに、それがだんだん明らかになっていきます。

私は長澤さんの父親。

グータラで病気を持ち。人の言うことは聞かず、気ままに生きている。

私の妻は今入院している。余命はあまりない。

彼は4歳の女の子がいるシングルファーザーでメロンパン職人。

自分は誰であるのか、どういう環境にあるのか?

相手はどういう人なのか?

そこが明らかになるにつれて、ちょっとずつちょっとずつ全体像を理解しながら、舞台は進んでいきました。

その過程は面白くもあり、「えっ、そんなことある?」と思うこともありました。

もともと私自身「ボケ」役が好きで、普段の会話でも「笑い」をとりたいと思っており、舞台の上でも、少し笑いを取るような言動をしていました。

この時点でも私は 子ども(Child) が目いっぱいエネルギッシュに動いていました。

そこを長澤さんが、そんな流れを諌めるというか、「もうお前、いい加減にしろよ!」と父親に向けてビシッと言ってきて「ふざけてばかりいないで真剣に聞けよ」というような流れに変わってきます。

それは長澤さんの表情でもわかり、また、ちょっときつめの言葉でもわかりました。

「ちょっとこれはいけないな。」と気づき、私もスイッチを切り替えます。

ここで私は 成人(Adult) がスーッと持ち上がってきました。

ここで自分の「気づき」でスイッチを変えたことが、私の普段の「あり方」なのだろうと思います。

その後のストーリーでも、わたしの本音がやっぱり出ていたでしょう。

一緒に行った仲間から、「舞台上での演技はふりさん(私は普段から「ふりさん」と呼ばれています)の本音だったのか?」と聞かれました。

舞台に立っているときは、本音だとか演じるだとか思ってもいませんでしたが、そうやって質問をされると、実際に自分がどう思っていたのかというのを改めて考えてみました。

そうすると、舞台上では、演じるのではなく自分自身普段どう思っているのか、どう感じているのか、素のままの自分が出ていたように思います。

自分で分からないことや感じていないこと、言葉にできないことは表現(演技)できません。

改めて質問されたことで、舞台上での自分はどういう人であったのかを考え、結果「ああ、そうだったのか」と自分でも整理でき、自分自身がわかってきました。

それがわかったことは、今回とっても良い経験になったと思いました。

劇が終わって、舞台を降りて仲間の元に戻る途中、観客の皆さんから拍手をいただいたときには、生きていく上でエネルギー、フィシス(Physis)を高めるための最高のストロークをいただけました。

舞台の上からは観客がいることはわかりますが、表情まではわかりません。

表情を観察するほどの余裕はありませんでしたし、演じることで何かを伝えようと意識していたわけではないので、どのように思われたのかなんて、全く考えていませんでした。

観客は見えていたはずなのに見ていなかった。もしくは見ないようにしていたのかもしれません。ただ、自分が言った言葉に対する反応、笑い声があったりちょっとザワっとしたり、そういうのを感じられるのは少し安心しました。

やはり人は「無視」されるのはつらいですね。

反応をもらえることは、生きていく上で重要な要素ですね。

一緒にいた仲間のもとに戻ると、「涙が溢れてきた」と感想をもらって、正直、驚きました。

「なぜ涙が出てきたの?」と聞くと、私と長澤さんの行った舞台、その内容が各々、それぞれの皆さんの心の中の「何か」に響いて、自分の環境にオーバーラップさせて、自分が感じたことを思って、それが涙につながっているということが分かりました。

それは私の友人だからなのかと思ったら、舞台袖にいた人や通路にいた人も涙を流していてましたよっていう話しを聞いて、私の「ありのまま」の姿を通して、感情を動かすようなことが伝えられたのかなと思うと、とても嬉しく、感慨深く思いました。

自分自身は、目の前で起きていることに対して、自分の感じたまま思ったままに行動していた(演じていた)のですが、そこまで皆さんの心に訴えることがあったのかと思うと、とても不思議な感じです。

私は最終的に舞台の終わり方、ストーリーの終わり方というものは想定できませんでしたから、長澤さんが終幕に導いたときに、どのように感じていたのかわかりません。

ただ、ストーリーとしても切れ目で、うまく終えられたなぁという感じでした。

今、いろいろな場面や様々なことを思い出しますが、私が演じていたところ、言葉にしたところのひとつひとつが、私の中にある「何か」から生まれたことに、自分のあり方を、ある意味、客観的に俯瞰してみることができます。

そこの場面で何があったのか、自分がどう思ってたのか、それはどういうことだったのか?それを今改めて考えてみると、どんな感情や場面にであっても、それを冷静にとらえ、I+U+(I am OK, You are OK)のポジションを維持し続けていたように思います。

いずれにしても、この一時間足らずではありますがこの舞台はとても良い経験でした。

脚本があり、演出があり、それに沿って演じるというものであれば、きっと私にはできなかったのだろうと思います。

ありのままの自分で演じることが許される、そういう世界だからこそ、私はその場に立っていられて、涙を流すようなストーリー展開をさせることができたのだろうと思います。

実際、そのような評価を受けて、「あ、自分はそういう風に見える演じているんだ」「普段からそう振舞っているんだ」ということがあらためてわかりました。

今回、私自身初めて会う方、全く知らない方が観客のほとんどでした。

演じるまで、私に全く関り持っていない方たちが、終わった後、私に声をかけてくれる。

 

「よかったですよ」「とても良かったです。」「感激しました!」

 

このような一言一言が私自身にとってのストロークとなり、とても励まされ、満たされました。またお声をかけてくださる方の笑顔を見て、とてもうれしく思いました。

今日一日で、貴重な、今までになかった良い経験をさせて頂いたと、心から感謝しています。

もし、またやる機会があれば、チャレンジをしてみたいなとも思いますし、まだやったことのない人には是非参加をしてもらいたいなというふうに思います。

舞台の上に立って演じる。

でも、演じる必要はあるんだけど、演じる必要がない。

ありのままの自分を表現する。それが「即興劇」の真髄ではないか、そのように思いました。

「自分自身をさらけ出すことは怖くなかったですか?」という質問も受けました。

私は、あまりそこにこだわりはなく、怖いと思うことはありませんでした。

実名を出したりとか、生活に関わるようなことは当然言いませんけれど、自分自身を出すということが、結果的に誰かに何かを伝えるのであれば、それはそれでよいと思っています。

自分自身をさらけ出すことのマイナス面というのはどんなことでしょう?

恥ずかしさ、悔しさ、後ろ指を差される。そんなことがあるのかもしれません。

誹謗中傷は全く意図せず起きる可能性もありますし、自分の一言が誰かを傷つける可能性もあります。

ただ、私は私であり、それ以上でもそれ以下でもない。

もし何かあったとしても、それは自分の責任で対処する。

それで良いと思っています。

このような経験はしたくてもなかなかできません。

もし機会があれば、是非参加していただきたいと思います。

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