こんにちは!青沼です。
今回の私のテーマは、
「世界の国際TA協会なんだから~~♪」 です。
ええ~~今更~~!!
という声が聞こえてきそうです。(笑)
私は、2005年から国際TA協会(ITAA)の教育分野に属しています。
ITAAは米国サンフランシスコに拠点があり、TAの創始者であるエリックバーン博士が自ら立ち上げた、とても歴史のある協会で、会員は世界各国にいます。
ですから、年に一度開催される学術大会(Conference)は、世界の国のどこかで開催され、さまざまな国の人たちが集って学び語り食す…それが当然の団体です。
コロナ後初! 2025年夏にはフランスで開催される予定です。
国際色豊かな背景の国際的団体に属している…のに、入会したての頃から、私にとってその組織は遠い遠い存在で、ものすごく心の隔たりがあったように思います。
2010年教育分野の資格を取ったあと、2013年に大阪で大会を開くぜ~! となった時、私は実行委員会のメンバーになり、開催に向けて日夜奔走しました。
私の働きぶりはすごくて(笑)、
開会式・閉会式・ウエルカムセレモニー・ガラパーティなどなど、
お得意の人脈形成スキルを駆使して、さまざまなその道のプロに参画してもらいながら、
日本らしい大会セレモニーになったと自負しています。
それは、私にとってとても良い経験でした。
にもかかわらずです、
期間中、来日してくれた世界中のメンバーには、私は見えていない……というような感じ、
そう、(自分が)ものすごく“離れた”場所にいる……と感じていました。
原因のひとつはもちろん、言葉の壁
英語や他言語でボランティアを務めてくれた日本の仲間が、期間中引っ張りだこで活躍してくれた時、どんなに彼らが輝いて見えたことか!!
しかし、それだけではない何かが、私とITAAにはある…という
不可思議な感じがしていて、これまでもそう、ずっともやもやしていました。
で、最近やっとそれが、何に起因しているかに気づいた!という話をします。
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あのパンデミックのなか、世界中の人びとは必死で“繫がり”を保とうと努力しましたね
IT難民の私にもオンライン化の波が押し寄せました。
ITソリューションの力が、一気加速で世界中に人を繋いだわけです。
ITAAも、現在は、オンラインで試験を受ける仕組みが整うなど、変化は著しいです。
2010年カナダのモントリオール大会で受験した時の私の気持ちなんて、まるで宇宙に戦いに行く戦士のような、悲壮感たっぷりだったのに……(笑)
いまや、世界中のどこであっても、自室で受験できるんですよ~~~~
すごくないですか???
(そんなのはもう当たり前か…)
振り返ってみれば、私がTAの修行に海外に出向いたのは
2006年 トルコ イスタンブール大会
2007年 米国 サンフランシスコ大会
2010年 カナダ モントリオール大会
(2013年は日本 大阪大会)
2014年 米国 サンフランシスコ大会
2018年 ドイツ ベルリン大会
2019年 米国 ノースカロライナ大会
その間にアメリカのVann Joins博士の研究所のワークショップへ2回参加し
ニュージーランドでの宿泊型ワークショップにも2回参加しました。
ビジネスで地球を一周したと豪語する主人も、
「ママは、語学もままならない個人旅行のレベルで、毎回よく無事で返ってくるね~~~!」
と感心しきり。(*^^*)
確かに、トロント空港で飛行機が飛ばず、1日足止めを食らって泣きそうだったり、
イスタンブールでは、日本企業に勤めてたんだというおっちゃんに高い絨毯を買わされそうになったし……
タクシーのぼったくり運転手と言い合いしたし……
危ない場面はいっぱいあったけれど、こうやって毎回セーフ!で無事に帰ってきています。
世界じゅうのTA人は、みな志があり、人生に意味を見いだし、周囲と調和して生きている素晴らしい人たちです。
私自身は、筆記&口答試験の時もさまざまな人に支えられて、お陰でめでたく合格したし、
尊敬する先生方からは、しっかりと受容され、その指導は素晴らしいものだし。
でもそこでも何故か、私の中には、埋まらない距離がある。
で、この度、改めてある発見をした~~~!
先日〖ITAAのウエビナー〗というのに参加した時に、不意に私の中に湧き出たその発見。
そのウエビナーはNZLの人気の講師が登壇することもあって、参加者は170人に近く、
知り合いの顔を探すのが難しいほど。
テーマは、簡単に言えば、今世界で起こっている事に我々自身が関心を持ち続け、批判する/声を上げることの重要性について
とても社会正義的、政治的内容を含んでいます。
今この世界では、大変な出来事がてんこ盛り状態。
私は毎日ニュースを見ています。
悲惨な状況にある国の子ども達の悲しい顔に涙します。
祖国を想う市民の憂いと怒りに共感します。
国を守ろうと立ち上がる女性兵士の顔に映る悲しみを憂いています。
この15年、毎年ある医療系のボランティア団体に寄付もしています。
でも私はそれだけなんです。
本にウクライナの人々が避難しているけれど、私はその人たちに会ったことはない。
支援者を訪ねてみたり、頑張って!と声や支援活動をしたことはない。
寄付はするけど、実際にその場に居って手助けすることもできないし、しない。
それが事実
ウエビナーのNZL在住の講師の基調のレクチャーから発せられる言葉遣いはとてもやわらかいものだったけれど、参加者に語る言葉の力を与えてくれたように感じられました。
それはいつも使い慣れた・聞きなれたTA用語なのだけれど、その時は違った重みを含んでいた…
その後グループに分かれた時、
私のグループは、私以外はヨーロッパの心理療法分野の人たちで
彼女/彼らの話は、最近の辛い出来事・経験を反映したものですが、それは多くの恐ろしい出来事のほんの一部が語られただけでした。
しかし、その短い時間だけでも、ものすごい重くて濃い発言で、
“そのことと彼らがすごく近い”ことが、遠い異国の私にひしひしと伝わってきたのです。
死を身近にする問題の大きさ、そのことの悲しみや苦しみや怒りの感情を、
セラピストである彼ら自身が感じていて、恐れ、傷ついていること
国と国,文化と文化,人種と人種 のぶつかりあい。
その出来事のすべてが彼らにとっては、自分事であり、煙火となって迫ってくる。
私とは置かれた環境が全く違う。
私はその事実を知ってはいるけれど、望遠鏡をのぞくような距離でしか見ていないし理解していないんですよね、きっと。
私の場合は、英語の壁がさらに心理的距離感を生み出すし、
我慢強いという国民性は、160名以上の参加者の前では、“場をワキマエル”という道徳教育が祟り、ほぼダンマリを決め込む…
意見を言わない
存在の薄い
周縁性の人びと としての、日本人TAコミュニティのなかのわたし
距離があるんだ・・・自分で創った距離が
そうは言いながら、私の場合、意外とそう気づくと、七転び八起き的な思考に戻り……
それが痛いほど判ったので、これからどうするか?に意識が向きます。
そう、自分でその距離を埋めていくしかないでしょ!!
私は価値がある あなたは価値がある そして彼らは価値がある
そう心構えることの重要性を痛感!
世界の悲しい出来事は、今は私や家族の身に降りかかってはいないけど、
安穏とそれに胡坐をかくのではなく、窮地に立った人たちに想いを馳せながら
自分ごととして考えて、行動してみよう。
ITAAに属するTA人として、広く世界にいるTA仲間のことを考えてみたい。
実際には、こんなことが起こるかもしれない。
ウクライナの受験生をロシアの試験官が試験する
その反対も起こるかもしれない
そしてその場に私も試験官としているかもしれない…
その時私は、OKの原則「人は誰でも、その存在はOKである」ことを遵守することができるだろうか…と、己に問いかけ熟考し、本気でその場に臨めるようになりたいなあ。
そんなことを考えさせられた、今回のウエビナーですが、なんと公開されています。
ご興味のある方はどうぞご覧ください
https://youtu.be/4jMy6be4IYU?si=92BQF-0Hr30p3abV
そんなこんなな晩春の一日
筋金入りの大阪のTAおばさんやけど、ちょっとは世界に目を向けてます…のお話でした。
(*^^*)またよんでね~~~♪